箱根駅伝の歴史・襷(たすき)が紡ぐ名勝負


すっかりお正月の風物詩ともなった、箱根駅伝。 毎回、様々なドラマが生まれています。

 

今回は襷(たすき)が見てきた名勝負と絡めて、その歴史をひも解いていきましょう。

 

この箱根駅伝は大学三大駅伝とも呼ばれ、今や知らない人はいない大会です。

 

ただ、中には関東の大学が行うローカルの大会なので、残り2つの大会である

 

日本大学駅伝出雲駅伝の中に入れるのは、違うのではないかといった声もあります。

 

 

全日本と冠の付く、日本学生陸上競技連盟が主催する大会ではない箱根駅伝ですが

 

歴史を見てみると、もっとも古い駅伝は箱根駅伝なのです。

 

 

箱根駅伝の始まりは、所説ありますが第一回大会として、

 

1919年に行われた4校だけの「四大校対抗駅伝競走」が始まりだったそうです。

 

この時の出場大学は明治、慶応、早大、東京高師(今の筑波大)の四校で優勝は東京高師でありました。

 

 

さて、歴史の残る名勝負を見ていく前に、軽く区間の特徴と変化を見てみましょう。

 

 

箱根駅伝の歴史にみるコース特徴

 

まず、1区・10区ですがここはスタートとゴール地点でもあります。

 

現代は大手町ですがそのようになったのは、第48回大会からです。

 

それ以前は古くは、日比谷公園音楽堂や銀座の時もありました。

 

 

そして75回大会で10区の馬場先門から大手町のゴールまでのルートが

 

21.3kmから23kmに変更になってます。

 

1区では、主導権争いを占うスパート合戦が一番の見所です。

 

 

続いて、2区・9区です。 当初は鶴見中継所から旧東海道を、宮前、青木橋、台町、保土ヶ谷、

 

元橋橋、旧権太坂、不動坂、戸塚大踏切を経由して戸塚中継所までのルートを取っていました。

 

第31回大会から新たに完成したワンマン道路を通るようになり、

 

第59回からは現代のコースとなってます。

 

 

皆さん、ご存じの花の2区、各大学のエースが火花をちらす区間でもあります。

 

また復路の9区においては「裏のエース区間」とも呼ばれ熱い区間となっています。

 

3区・8区はスピード豊かなランナーが揃う区間です。

 

現在の往路で見ていきますと戸塚中継所~原宿交差点~遊行寺~藤沢~藤沢橋~浜見山~

 

浜須賀~茅ヶ崎海岸~湘南大橋~平塚中継所となっています。

 

現在は21.4kmとなっているコース距離ですが、第31回大会では22.1km

 

36回大会では、中継所の場所が変わり24.7kmになった時もありました。

 

 

4区・7区ですが、比較的距離の短い区間です。

 

ただ、ここでのタイムは何かあると大きなブレーキとなるところです。

 

復路の7区に於いては、将来を嘱望されるランナーが起用される区間と言われてます。

 

現在の往路でいいますと、平塚中継所~湘南海岸~大磯駅入り口~国府本郷~二宮~

 

国府津駅前~酒匂橋~小田原中継所となります。

 

 

最後に5区・6区です。 ここ近年、逆転のドラマを生み出す区間として注目を浴びている区間です。

 

第85回大会で、東洋大学の柏原竜二選手が8人抜きをして優勝を飾ったのも記憶に新しいですね。

 

第48回大会から往路ゴール、復路スタートが現在の芦ノ湖入り口駐車場となってます。

 

また82回大会で小田原中継所の移動により区間距離が23.4kmに伸びました。

 

 

箱根駅伝、記憶に残る名勝負

 

さて、記憶に新しい名勝負といいますと皆さん、どの大会・どの選手を思い出すでしょうか?

 

やはり、最近では距離も長く山登りもある5区での山の神々のことでしょう。

 

5区を制するものが、箱根を制すとまで言わしめた出来事は、

 

第83回の今井正人選手の4分9秒もの大差を詰めて往路優勝したことから始まります。

 

これにより5区はなにかドラマが生まれる区間として箱根駅伝ファンから注目をあつめるようになります。

 

 

そしてそれを決定付けたのが、第85回大会で今まで箱根では優勝経験のなかった東洋大を

 

優勝に導いた、柏原竜二選手の登場でした。 5区で襷をもらった時点で4分58秒遅れ。

 

その後、軽快な走りで9位だった順位から8人を抜き去り、往路逆転優勝を成し遂げました。

 

 

新たな山の神として、翌年以降も東洋大学の名を広く知らしめました。

 

近年では、青山学院大学の神野大地選手が新たな山の神として注目されています。

 

 

しばらくは、この5区でのラストスパートから目が離せません。

 

また、記憶に残るものとして駒澤大学と順天堂大学の2強対決もすさまじいものがありました。

 

 

始まりは第75回大会、全日本駅伝、出雲駅伝をそのシーズン制した駒澤大学は大学駅伝三冠

 

という偉業に燃えていました。 また、それを成し遂げる力も十分持っていたのです。

 

対する、順天堂大学はその時点では、さほど評価は大きくありませんでした。

 

 

最初に仕掛けたのは、順天堂でした。花の2区でエース、三代直樹選手が7人抜きのトップで

 

襷をつなぐと、4区では駒澤大学も負けじと逆転。 そのまま、往路優勝となりました。

 

続く復路では先行逃げ切りでスタートした駒澤大学でしたが、

 

実は順天堂大は復路に主力選手を温存していたのです。

 

 

この作戦が功を制し「裏エース区間」の9区で高橋謙介選手が区間賞の激走、

 

続く10区では宮崎展仁選手がこれまた区間新で続き、駒澤大の3冠を阻止しました。

 

 

これを皮切りに、その後数年続く熾烈な争いへと突入していきます。

 

 

更に忘れてはならないのが、留学生ランナーの登場でしょう。

 

「花の2区」で名だたる日本人エースをどんどん抜き去り、テレビの前の視聴者に衝撃を与えた

 

ジョセフ・オツオリ選手

 

その桁違いのスピードに、留学生ランナーの起用の是非を問うまでに至りました。

 

 

まとめ

 

上げればきりがない、語り継がれる勝負の数々。 ほかにも、瀬古利彦選手、

 

「コケちゃいました」で有名な谷口浩美選手等、等・・・・・。

 

 

しかし、そのようなスター選手を見るだけではない魅力が箱根駅伝には詰まっています。

 

体の限界を乗り越え、蛇行して倒れそうになりながらも襷を渡す選手たちを見るたび、

 

胸が熱くなるのは私だけではないでしょう。

 

 

ただ、あまりに加熱しすぎて選手たちにとって、無理をさせすぎる危険も考えないと

 

予期せぬ故障や悲劇も出てきます。 人気が高まったゆえの大きな課題でもあります。

 

 

ともあれ、お正月を彩る箱根駅伝。 末永く発展していってもらいたいものです。

 

 

柏原竜二選手も出場したつくばマラソン つくばマラソンに山の神・柏原竜二とサイラス・ジュイが舞い降りた日

 

2019年 箱根駅伝の記事です      第95回 箱根駅伝、往路のドラマは序章だった・・・。

 

 


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