稲波干拓のオオヒシクイを見に行った! 飛翔する天然記念物


朝方テレビを見ていたら、茨城県の稲敷市の稲波干拓地(いなみかんたくち)

 

国の天然記念物であるオオヒシクイが飛来しているという情報が。

 

冬の使者、オオヒシクイの名前は聞いた事があったが実物はお目にかかっていない。

 

車であれば自宅からさほど遠くないので見に行って来ました。

 

関東でオオヒシクイを間近で拝めるのはここだけ。

 

日本では他には、宮城県の伊豆沼、新潟県の福島潟、そして北海道の宮島沼。

 

では関東地方唯一の越冬地、稲波干拓地へ出発です。

 

稲波干拓地でオオヒシクイは見れるのか?

 

車を飛ばす事、40分。

 

この角を曲がれば、あと少しです。

 

このうなぎ屋さんの手前を右折して、少しうねうね曲がると

 

ご覧のような場所へ。この少し先に「オオヒシクイ観察小屋」があるはずです。

 

参考までに地図を載せておきます。

 

すぐそばを小野川が流れる場所に、「オオヒシクイ観察小屋」がありました。

 

ここは稲敷雁の郷友の会の方が運営する観察小屋です。

 

友の会・会員の方は首から名札を下げていますので、分からない事があれば色々教えてくれます。

 

駐車場も用意されていて、至れり尽くせりでございます。

 

着いてみると既に多くのバードウォッチャーの方でごった返していました。

 

こちらは、バスで来られた団体さんのようです。

 

皆さんが注目している先に、オオヒシクイがいるのですね。

 

どれどれ・・・

 

「アッ、あそこに3羽いるね!」

 

「こっちにも2羽いるぞ!」

 

まるで分かりません・・・

 

 

テレビではくっきりと映っていたオオヒシクイですが

 

多分いるであろうと言われる場所までは、1km近くあります。

 

 

これは双眼鏡がないと無理ですね。

 

そうこうしているうちに、隣の方が望遠鏡をのぞいてごらんと言ってくれました。

 

 

いました! くっきりと見えます。

 

お言葉に甘えて望遠鏡にカメラを近づけ、パシャリ!

 

国の天然記念物、オオヒシクイです。

 

来たかいがありました。

 

とその時、雁の郷友の会の方が「今、飛んでいます!」

 

皆が見上げた先には、数羽のオオヒシクイが・・

 

カメラもデジカメではうまく撮れません・・

 

全てが準備不足でした。

 

でも間近で実物のオオヒシクイを見れただけでも収穫アリとしましょう。

 

この後「オオヒシクイ観察小屋」に入り、稲敷雁の郷友の会の方からお話を聞けました。

 

 

「オオヒシクイ観察小屋」に入ってみる

 

観察小屋に入るとその年ごとの越冬数の推移が張ってありました。

 

オオッ~、徐々に徐々に越冬数が増えてきていますね。

 

今年は2019年から2020年の1月5日までに

 

オオヒシクイが189羽、マガンが1羽、羽を休めに渡来しているようです。

 

 

これまでのオオヒシクイの最高越冬数は2015年の135羽でしたが

 

今シーズンはその記録を大幅に上回っています。

 

 

その一つの原因として、日本最後の中継地である北海道で栄養条件が良く

 

繁殖に必要な栄養が効率よく摂取できた事があげられるそうです。

 

 

ここで稲波干拓地ではいつ頃までオオヒシクイが見られるのかを質問すると

 

「今シーズンは2019年11月3日に5羽が渡来し始めました」

 

「2020年では2月末までは見られると思いますよ」

 

そうですか、約4か月間はここにいるわけですね。

 

※観察小屋に貼ってあった写真パネルです。誰かさんとは大違いの美しさ

 

あと何故、この稲波干拓地なのか?という点も質問すると

 

ここは近くに民家や高い高圧線がないのが渡来しやすい条件のようです。

 

 

日本ではこの稲波干拓地が最終地点であり、その後北上して宮城、新潟、北海道へと渡ります。

 

地図の一番左下の赤いピンが稲波干拓地です。

 

他の赤いピンは渡来地ではなく、飛ぶルートとの事。

 

途中、北浦などの良さそうなポイントもありますが

 

実は最近、北浦でも高速のバスボートなどが走り回りそれを避けているとの事。

 

私はボートの釣りはしませんが、ちょっと耳の痛いお話です。

 

 

またこの稲波干拓地ではオオヒシクイのエサとなる二番穂が用意されているので

 

それを求めて渡来するようです。

 

 

以前はオオヒシクイの餌はヒシの実だったそうです。

 

ヒシの実を食べるので「ヒシクイ」という和名が付いたとの事。

 

しかし現在はこのヒシの実も無くなり、代わりに二番穂と呼ばれるコメを食べているそうです。

 

手前が2番穂です。

 

 

さて昔は全国いたるところで舞っていた雁(がん)ですが

 

明治時代の乱獲によってその生息数が激減しました。

 

【石 弘之 大空に舞うガンの群れから引用】

 

その当時、ソ連から一通の手紙が届いたそうです。

 

「シベリアから飛び立った渡り鳥のうち、北米や欧州や中東に行く渡り鳥は毎年同じ数が戻ってくるのに

 

日本や日本を経由して南へ行った鳥の帰ってくる数が少ないのはどうしたわけか」

 

といった内容の詰問状だったそうです。

 

その問題は国会でも取り上げられ真剣に、渡り鳥の保護を議論するきっかけにもなりました。

 

 

色々な経緯があったのですね。

 

今またこうして一部の稲敷雁の郷友の会の方などによるボランティア活動により

 

この貴重な冬の使者、オオヒシクイが守られています。

 

 

是非とも時間があれば、期間限定ですがこの稲波干拓地に訪れ

 

国の天然記念物・オオヒシクイを見に来てください。

 

その際には双眼鏡はお忘れなく・・

 

 

アッ、最後に丁寧なご説明をしてくれた稲敷雁の郷友の会会員の方に

 

写真をお願いしたら、「後ろからなら撮っていいよ!」とのことでしたw

 

いつも大変ご苦労様です。ありがとうございました。

 

 

 

まとめ

 

帰り間際、ふと見るとバス停がありました。

 

このバス停からなら「オオヒシクイ観察小屋」は歩いて10分もかからないはずです。

 

ただ今も使われているのかなぁ~。

 

本数もかなり限られています。

 

やはり、ここに来る交通手段は車になりそうですね。

 

以上、のどかな自然に囲まれたオオヒシクイの故郷・稲波干拓の見学記でした。

 

 

 


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